長い間続く景気の停滞や、世の中の隅々に広がる「効率化」を背景にして、「余裕を持てずに」生活している人が増えているようです。最近は「ストレス」「メンタルヘルス」などの外来語がわれわれにとって馴染み深い言葉となりました。政治や経済ばかりでなく、人々の日常生活もアメリカの後を追う傾向があるようです。
 そのアメリカでは、今やうつ病が心臓病に変わり国民病になりつつあります。WHO(世界保健機関)の報告によると、現時点で世界の人口の約3%がうつ病にかかっていると報告しています。うつ病は、高血圧、糖尿病、高コレステロール血症と同じくらいありふれた病気なのです。
 人間が一生のうちで一度でもうつ病になる率は、男性で5.12%、女性で10.25%もあります。特に女性は、出産、閉経などホルモンのバランスが大きく乱れることも多く、このことが女性がうつ病かかりやすいことと関連がありそうだと推測されています。いずれにしても、我々は一生のうちに一度はうつ病にかかっても何ら不思議ではないのです。

 うつ病は有病率が高いだけでなく、社会的な影響も大きな疾患でもあります。WHOは、1995年に「最も長期にわたって人々を苦しめる病気は何か」という調査を行いました。この結果、うつ病が第1位となりました。ちなみに2位は鉄欠乏製貧血、3位は転倒となっています。また、4位にアルコール乱用、6位に躁うつ病(うつ状態ばかりでなく、躁状態があります)、9位に統合失調症、10位に強迫神経症(強迫性障害)が入っています。現在世界中の人々がいかにメンタルヘルスの問題で苦しんでいるかお分かりいただけるかと思います。
 これもアメリカからの報告ですが、うつ病は今や心臓病、がん、エイズと並んで罹患率が高く、医療費のかかる疾患となっています。他の3つの疾患と比べると、うつ病には際立った特色が認められます。
まずそれぞれの疾患に罹患する患者の年齢に注目すると、エイズは若い人、心臓病は中年以降に多いのに対して、うつ病は18歳から45歳で多い傾向が認められました。このことは、うつ病は働き盛りの人にも多く発症するので、医療費がかかるばかりでなく、これらの人が病気の間生産性が落ちることによる社会的な損失が大きな問題であることを浮き彫りにしています。

第2に、4つの疾患の中でうつ病は際立って死亡率が低いことが上げられます。反面、風邪のように簡単に治るものばかりでなく、再発したり、慢性化することも多いのです。従って、医療にかかったり、生産性が低下する期間が長いことがうつ病の特徴です。日本でも、あらゆる疾患による休業日数の平均が47.3日なのに対して、うつ病の平均休業日数が119.5日という報告もあります。

第3に、他の疾患に比べてうつ病は治療により軽快する可能性の高い疾患です。早期に発見して、専門的な治療を受ければ、社会的な損失は劇的に低下することが予想されます。
そして最後に、他の疾患に比べてうつ病は認知度がもっとも低いことが特徴です。このために、うつ病にかかっている人が周囲から「気のせいだ」「頑張れ」などといわれたまま苦しんでいることが多いのです。ヨーロッパで行われたDEPRSSという研究では、多くのうつ病患者は適切な治療を受けていない可能性が示されています。この研究によると、うつ病患者のうち43%は医療機関を受診しませんでした。受診した人のうち89%はプライマリケア医(開業医)を受診し、精神科を受診した人はわずか16%でした。そして、薬物療法を受けた人は31%しかおらず、このうち抗うつ薬を服用した人はわずか25%しかいなかったそうです。




<うつ病の症状>

最近はマスコミなどを通じての啓蒙も進み、うつ病も以前と比べると身近な疾患となりつつあります。心療内科の外来でも、気分が沈んだり、意欲が出ないので「自分はうつ病ではないか」と心配しながら受診するケースも増えてきました。その一方で、疲れやすい、食欲がないなどの身体症状が強く、内科などを受診したが身体的に異常がなく心療内科を紹介されるうつ病のケースも数多く認められます。この場合、本人は自分がうつ病だとは夢にも思っていなかったということも多いのです。
うつ病と診断するために重要なことは、その患者さんが「特別な理由もなく気分が沈み、楽しいことがあっても気分が晴れない」状態であるのを見極めることです。
しかし、うつ病では気分が沈む以外にもさまざまな症状が出現します。特に身体症状は患者さんにとっても辛いため、多くの患者さんは内科などの身体科を受診します。しかし、そこで検査をしてみても身体的な不調を裏付けるような異常は見つかりません。この時点でうつ病を疑われて心療内科や精神科を紹介されればよいのですが、現実には「何でもありません」「自律神経失調症」「更年期障害」などといわれることも多いようです。
そこで、うつ病で出現する症状をまとめてみましょう。


1. 身体症状
 原則として、うつ病になると何かしらの身体的な不調が出現します。特にだるさはほとんどすべてのケースに出現します。
 消化器系の不調もよくみられます。通常は食欲が低下し、体重も減少します。40歳以上の人で食欲・体重が落ちてくれば、症状だけではまずがんを疑うでしょう。うつ病の患者さんが内科(消化器科)を受診するのは当然ですし、医者が胃腸を検査するのも当然の成り行きかもしれません。
 消化器の症状では、便秘も多いものです。特に老年期のうつ病では便秘へのこだわりが強いケースが数多く認められます。抗うつ薬の中には副作用で便秘を起こすものも多いので、服薬中に起こる便秘はうつ病のせいか薬に副作用によるのかわかりにくくなります。
 うつ病では、しばしば体の痛みに悩まされることもあります。なかでも頭痛はよくみられる症状です。軽度から中等度の「しめつけられる」ような痛みで、長時間続き、肩や首の筋肉がこることが多いようです。また、高齢者では頭痛以外にも腰痛や関節痛のように体のあちこちが痛むことがあります。痛みが骨や関節の老化により起こっている場合には原則として痛みも止まりにくいものですが、うつ病で起こる痛みは、うつ病が軽快すれば改善するのが特色です。
 このほかの症状として、動悸、頻脈、胸部圧迫感、血圧の変化(一時的な上昇など)、発汗、呼吸困難感、のどのつまる感じなどがしばしば起こります。通常、これらの症状が急激に出現する場合は、精神症状である不安感や焦燥感も同時に認められます。
 身体症状が主体で精神症状が目立ちにくいうつ病を「仮面うつ病」と呼ぶときがあります。「体の病気の仮面をかぶったうつ病」という意味です。このような状態では、本人も自分がうつ病にかかっているとは考えていないため、なかなか専門医を受診できずに余計に苦しむことがあります。検査をして異常の認められない身体症状があったときは、うつ病を疑い、専門医を受診することが大切です。


2. 気分の変化
 気分の変化は、うつ病と診断されるための必須条件です。患者さんは、「気が滅入る」「気が沈む」「憂うつ」「気が晴れない」などと感じることが多いようです。
 うつ病の場合は、少なくとも2週間は気分が晴れない状態が続きます。そして、朝方強く夕方から夜にかけて軽快する傾向があります。
 うつ病ではなく、嫌なことがあり気分が落ち込んでいる場合は、嫌なことが解決すればすぐに気分は解決します。


3. 興味の喪失
 何事にも興味が持てない状態です。趣味など、これまで患者さんが楽しく感じていたこともやりたくなくなります。
 会社で嫌なことがあって落ち込んでいる人は、会社が休みの日には気分が楽になり、趣味を楽しむことが出来ます。しかし、うつ病の人は会社が休みでも一向に気分が晴れません。
 興味の喪失は、患者さん本人も周囲の人も気がつきやすいので、うつ病の早期発見の手がかりとなります。


4. 意欲・行動の抑制
 患者さんは、「何かをしなければいけないのに、やる気が起こらない」と感じます。抑制が軽度だと、他人からはなかなかわかりません。そこでついつい「頑張れ」と声をかけてしまいます。本人も「自分が怠けている」と感じやすいため、ついつい無理をして、余計に疲れてしまうという悪循環に陥りやすいのです。
 抑制がひどくなると、言葉数が少なく、声も小さくなり、動作ものろくなるため、他人から気づかれるようになります。重症になると一日中横になって、話しかけてもすぐには返事が返ってこないことすらあります。
 うつ病が回復期に入り、他の症状が改善しても抑制症状だけが長く続くことがあります。特に軽症のうつ病で抑制症状だけがなかなか軽快せずに長期間経過することが多く、専門家の間では問題となっています。


5. 睡眠障害
 ほとんどのうつ病の患者さんは不眠を訴えます。睡眠障害は大きく不眠と過眠に分けられます。うつ病では不眠になることが多いのですが、約10%の患者さんは過眠となります。
 不眠には、寝つくまでに時間のかかる入眠困難、寝ついた後に目が覚める中途覚醒、朝、通常より2時間程度早く目が覚める早朝覚醒などのタイプがあります。このうちうつ病に特徴的なのは、中途覚醒と早朝覚醒です。うつ病では、眠り続けることが難しいのです。
 また、中途覚醒したときにいやな内容の夢をみていることもよくあります。


6. 集中力、思考力の減退
 うつ病では、思考力にブレーキがかかります。思考力が落ちると、考えが浮かばなくなったり、物忘れがひどくなったりします。日常生活では、会議で流れについていけなくなったり、料理をしようとしても献立が考えにくくなったりします。
また、老年期の患者さんでは、物忘れがひどくなり、急に呆けてしまったかのようにみえることがあります。しかし、ご安心ください。うつ病で物忘れがひどくなった場合は、うつ病がよくなると記憶力も病前の水準に戻ります。この点がうつ病とアルツハイマー病をはじめとする痴呆症との大きな違いです。このため、うつ病で出現する記憶力の低下は、治療により改善するという意味から仮性痴呆と呼びます。
集中力が落ちると、「仕事でミスが多い」「新聞やテレビをみても内容が頭に入らない」などと感じることが多いものです。うつ病の患者さんは、相手の話は理解できても自分の考えがなかなか頭に浮かばなくなりため、相手が質問をしても返事をするのが遅くなります。このため、患者さんは「人と話すのが億劫」「電話に出るのが億劫」と感じるようになります。


7. 焦燥感
 我々は、うつ病というと暗い表情をして下を向いてあまり話をしない患者さんを創造することが多いのではないでしょうか。しかし、うつ病の患者さんの中には、言葉数が多く、同じことを何度も何度も繰り返し心配している人がいます。
 このように気分が落ちつかず、じっとしていられず、同じような不安を繰り返し訴える状態は、患者さんの焦燥感が強いことを示します。
 特に老年期のうつ病では、意欲や行動の抑制が目立たず、焦燥感の強いケースがしばしば認められます。よく見かけるのは、便秘を盛んに気にして、「便が出ないのは大腸がんになっているからでないか」と心配するケースです。
このように体の症状を死ぬ病気と関連づけて心配する人は、まず内科を受診することが多いのです。ところがこういうケースは、内科で検査しても異常はないし、普通のうつ病のように気分が沈んだり、意欲がなくなったりという症状も目立たないので、うつ病と診断されにくいのです。
重要なことは、うつ病で焦燥感が強い場合は、自殺する危険が高いのです。患者さんは、今の状態が大変辛く、ただ楽になりたい一心で自殺企図をすることがあります。


8. 無価値感、自責感
うつ病の患者さんは、自分自身にマイナスの評価をしがちです。「自分は何もできない」と考え、物事を判断するときも自分に不都合な判断をしやすくなります。たとえば、抗うつ薬を処方されても、薬の効果よりも先に副作用のことが気になります。その上、「どうせ自分の病気は治らない」という考えに支配されてしまいます。このため結局薬を飲まなくなることすらあります。また、今後の治療方針について相談しても、どの治療方法もリスクばかりが気になって、結局自分では決められないということが起こります。
 また、うつ病の患者さんは規則を破っていないにもかかわらず自分を責めることがあります。「自分が怠けているから仕事が進まない。同僚に申し訳ない。」「自分がこんな病気になっているから家族に迷惑をかけている」などと感じることが多いのです。
「自分が弱いから」「気の持ちようだから」というように自分を責めることも日常的な光景です。もっとも、うつ病患者さんばかりでなく、日本人全体が「気力の問題」という考え方をしやすいところがありますが。
 家族や同僚がうつ病の患者さんと接するときに気をつけなければいけないことがあります。それは、患者さんを安易に励まさないということです。「早くよくなってね」
「頑張ってね」「気の持ちようだから、乗り越えよう」などと励ますと、本人の自責感を刺激するので、患者さんはさらに周囲に迷惑をかけている価値のない人間だと感じてしまいます。


9. 妄想
 重症のうつ病では妄想が出現します。妄想とは、「病的な状態から生じた誤った判断」のことで、・事実でなく、・本人が確信を持ち、・他人が訂正しようとしても訂正できないという特色があります。
 うつ病に特徴的な妄想として、「自分は取り返しがつかない罪を起こした」と考える罪業妄想、「自分は不治の病にかかった」と考える心気妄想、「お金がなくなった」と考える貧困妄想があります。
 重症のうつ病では、入院治療となることが多いのですが、患者さんが「お金がないので入院できない」と訴えることがあります。家族に確認して貧困妄想だとわかることがしばしばあります。


10. 希死念慮
 うつ病の患者さんは「死にたい」と思うことがまれではありません。この「死にたい」という気持を希死念慮と呼びます。うつ病の患者さんの40 70%に希死念慮が認められ、このうち約15%が自殺を試みるといわれています。自殺の具体的な手段を考えている場合、死にたい気持が抑えられない場合は特に危険です。
 希死念慮を抱く背景として、症状の苦しさから逃れたい気持ち、自分が生きる価値がないという無価値感などがあげられています。
 自殺しやすい状態として、症状では抑制が弱く焦燥感が強い場合、発症後まもなく病状が不安定なとき、病状が回復して抑制は軽快したが抑うつ気分は残っているときなどがあげられています。
 また、絶望感、孤独感、体の不安(心気症状、特に便秘へのこだわり)がある場合は要注意です。さらに、独身、離婚、別離なども自殺と関連が深いといわれています。