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冬の祭典バンクーバーオリンピックが終了しました。多くの人が競技の模様をテレビで熱心に見たことと思います。
 一昔前までは、オリンピックでは「国の威信をかけて」という言葉が必ず出てきて、競技での成績がいいとあたかもその選手の所属する国が優秀であるかのように語られることがありました。当時の選手にとってオリンピックに出場することは大変な名誉であると同時に大変なプレッシャーだったと思います。国民から大きな期待をかけられたのに、いい結果を出せなかった選手は、翌日からマスコミによって、手のひらを返したように「根性がない」「精神的にもろい」などど批判されてきました。
 日本人が大好きな言葉のなかに「頑張る」があります。辞書をひも解くと、頑張るとは「一生懸命に努力(忍耐)する。」(三省堂国語辞典)と説明されています。
 オリンピックに出場する選手もインタビューを受けると決まって「頑張ります」「気力です」などと話しています。
 また我々もあいさつなどで「今日も1日頑張りましょう」などと話します。
 このように「頑張る」という言葉は日常会話で最もよく出てくる言葉です。
 しかしよく考えてみると我々が「頑張る」という言葉を使うときは、「勉強で頑張る」というように「何を」頑張るかは明らかなこともありますが(明らかでないことも多いですね)、「どのように」頑張るかは明らかでないことが多いように思います。
 つまり、我々が「頑張る」というときには、我々自身は思考停止に陥っているように思うのです。
 我々が嫌なことや困難なことに関わるときに、手段を考えないで頑張ってもよい結果は出にくいように思います。むしろ嫌な気分がさらに強くなり、悪循環に陥ることが多いのではないでしょうか。
 複合の荻原健司選手、水泳の北島選手、プロ野球のイチロー選手など一流と呼ばれる選手たちは「頑張る」という代わりに「楽しむ」と言っていることが多いようです。また世間では、「どの道でも名人と呼ばれている人は、楽しそうに仕事をしているようにみえる」と言われています。
 人間は目標がはっきりしていて、その目標に向かって進んでいるという実感が持てれば、目先の労力を惜しまずにすむのかもしれません。逆に、はっきりした目標のないままいやなことに関わっていると、些細なストレスが発生しても心が折れやすくなるかもしれません。
 我々は日常生活を送るうえで、ビジョンを持たずに「頑張る」状況はできるだけ避けたほうがいいのかもしれません。逆に「こうする」と決めたことに対しては、努力するプロセスを楽しむような感覚が必要なのではないかと考えています。