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 秋分の日を利用して、久しぶりで飛鳥まで旅行しました。この頃関東地方は大雨に襲われたようでしたが、奈良は小雨が降っていました。
 今回は日本の国がその体制を整えだしたころのことに思いをはせながら飛鳥の史跡を見て歩くことが目的でした。もちろん、日常の生活から脱出してスピリツアルな体験をするという心理的な動機もありました。
 行きの新幹線や近鉄電車の中で、飛鳥時代から奈良時代にかけての女帝の物語(平城京遷都 中公新書)や蘇我氏に関する本(蘇我氏の古代史 平凡社新書)を読み、飛鳥に関する知識の復習をしました。
 飛鳥につくとはじめに豊浦宮という推古天皇が即位した宮廷の跡を見に行きました。今はお寺になっていましたが、寺の地下を発掘調査したときに日本書紀に記載されている宮廷の土台が発掘されました。そこで、現時点では推古天皇が実在の確認された最古の天皇だそうです。
 次に小墾田(おはりだ)宮という宮殿跡地を見に行きました。この宮殿は、第一次遣隋使が派遣された後、隋などから要人が来日した時に迎えるにふさわしい建物として建てられたそうです。といっても、今では建物はなく、豊浦宮から500mくらい離れた田んぼの中にあり、一本木が生えているところが目印でした。
 次に約15~20分ほど歩いて飛鳥寺に行きました。飛鳥寺は中国や朝鮮からの使者に対して日本が文明国であることを示すために建立した日本で初めての国営の寺だといわれています。中に安置されている大仏も日本で最も古いものだとされています。当時の人々が力を合わせて新しい体制を作ろうとするエネルギーを感じることができました。
 推古天皇が即位した6世紀という時代に天皇を中心とする政治体制が安定したこと、この時代にも日本は東アジアをめぐる安全保障問題で、中国、朝鮮と活発にやり取りをしていたことを実感しました。特に中国では隋という統一王朝ができ、国力が増大してきた時期でした。急速に国力の増大した中国とどのようにつきあうかというのは現在の日本にも通じるテーマのようです。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものだと思いました。
 人生には今後解決せねばならない問題やストレスがつきものです。昔の人々がどのようにして当時の問題を解決しようと努力したかに思いを巡らすことは我々が日々の生活を送るうえでも大切な視点になるのではないかと思いました。